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2021年2月15日月曜日

2月15日



探偵シリーズバックナンバーより~

「福島レスキュー」

  2011年3月20日午前2時。GK探偵事務所USA支部から連絡があった。内容は、「福島市に住む両親を、妻の待つ東京まで連れてきてほしい」という依頼だという。

 依頼人は、商社マンで、ニューヨークに赴任しており、父親(73歳)と母親(72歳)が福島市内で二人きりで生活をしている。母親は、右足に障害を患っており、歩行もままならない。震災から、6日後、ようやく両親との連絡がとれて無事は確認しものの、断水が続いているという。

 最初、両親は、息子夫婦に迷惑をかけまいと、平然を装った。しかし、明らかに動揺している様子を、息子が気づかないわけがない。息子の切なる願いを受け入れたい。しかし、ガソリンの問題がある。宇都宮~両親の自宅までは往復360㎞だが、震災の影響によっては、大きく迂回(うかい)しなくてはならないことも念頭に置かなければならない。

 そこで、タクシーを利用して、復旧した那須塩原駅まで来て、新幹線を利用した方がとの提案を試みる。しかし、依頼人の条件は、「身辺警護(ボディーガード)」の国家資格を有する人間2名で対応してほしいとの要望だった。日本においては、まだまだ認知されていないが、アメリカでは、身辺警護という職業はごく一般的ものである。アメリカナイズされた息子の危機管理意識が、そうさせたのだろう。GK宇都宮は「身辺警護」の資格を有している。しかし問題は、ガソリンだ。夜中にもかかわらず、どこのガソリンスタンドにも長蛇の列ができている。いつ給油できるかもわからない。そこで、2台で出発して、1台は福島県内のコンビニに車を置いて、場合によっては、車をリレーして輸送する策をとる。

 非常時に備え、食料を調達し、午前3時に出発。矢吹町に入ったところで、国道沿いのコンビニに事情を説明して車を1台置かせてもらい北に進む。国道は、ところどころが隆起しひび割れがあるものの、迂回せずになんとか5時間をかけて到着することができた。そして、両親と対面。息子の気遣いに嬉(うれ)しかったのと相まって、ほっとしたのだろう、目を潤ませ、何度も手を握しめられた。荷物を運びいれ、母親を背負い車に乗り込んだ。幸い、車をリレーすることもなく那須塩原駅に到着した。ひとりが母親を背負い、ひとりが荷物を持ち、新幹線に乗車する。老夫婦は、座席で手を繋いだまま、すぐに眠りについた。

 そして、東京駅に隣接するホテルのロビーで、息子の嫁と孫との対面を果たす。そこに家族の絆を見た。自分も、無性に両親の顔が見たくなった…。

 *本文は依頼人の了承を得てプライバシーに配慮しています。

 

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